▲御諸皇子神社例大祭の山車巡行
最上川舟運でにぎわった清川には、多くの旅人とともに、源義経や松尾芭蕉も訪れました。
義経一行が一夜を明かした御諸皇子(ごしょのおうじ)神社には、「青葉の笛」や「祈願書」など義経にまつわる数々の品が残されています。
芭蕉は清川で舟を下り、羽黒山へ向かいました。
清河八郎を生み、文人墨客を誘ってきたこの地には、特色ある伝統文化が連綿と受け継がれ、夏には彩り鮮やかな「山車(だし)」が練り歩く祭りが行われます。
清河神社
清河神社は、文武両道の神として、清河八郎を祀(まつ)る神社。鳥居のそばには清河八郎の座像があり、この像は京都壬生(みぶ)の新徳寺で尊王攘夷を語る姿とされています。
隣には清河八郎記念館があり、清河八郎の遺品を保管・展示しています。
清川関所
元禄2年(1689年)、芭蕉は新庄から舟で最上川を下り、清川関所で上陸し、狩川を通って羽黒に向かいました。 舟下りの途中に、有名な『五月雨をあつめて早し最上川』という句を詠んだとされています。
御諸皇子神社
御諸皇子(ごしょのおうじ)神社は、源義経が弁慶ら一行を従えて、旅の一夜を明かした神社として有名です。 その境内には、安土桃山時代の建築といわれる稲荷神社や町指定文化財の木造金剛力士立像のほか、木造狛犬、義経ゆかりの品や大絵馬があります。
妹沢の大イチョウ
徳尼公(とくにこう)は家臣を従えて、酒田に移り住む前、立谷沢に身を潜めていました。 樹齢800年を超える妹沢(いもとざわ)の大(おお)イチョウは、酒田に移った徳尼公を偲んで、地元の人々が植えたとされています。
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庄内町清川の紹介地図