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庄内町人物伝

郷土のため、また日本の発展のため、幾多の苦難を乗り越え、力を尽くした庄内町の先人たちをご紹介します。

激動の幕末を駆け抜けた明治維新の魁 清川八郎(きよかわ はちろう)【1830年~1863年】

清川八郎

『維新回天偉業の魁』と呼ばれ、まさに明治維新の魁となり、時代を動かした英傑のひとりです。
旧清川村(現山形県庄内町清川)に生まれ育ち、当時の最高学府に学び、北辰一刀流を修めた後、清河塾を開塾。…

日本のお米のルーツ米「亀ノ尾」創選者 阿部亀治(あべ かめじ)【1830年~1863年】

阿部亀治

日本のお米のルーツ米「亀ノ尾」を作り出した人物です。
明治元年、旧大和村(現山形県庄内町小出新田)の小作農・阿部茂七の長男として誕生、家業を継ぎ、温厚で研究熱心。 湿田乾田化の必要性、…

世界に羽ばたく水彩画界の巨匠 内藤秀因(ないとう しゅういん)【1890年~1987年】

内藤秀因

世界が認めた水彩画界の巨匠の一人です。
明治23年(1890年)古関生まれ。山形県師範学校を卒業し、大正5年(1916年)東京美術大学へ入学。 美術の研究のために3度渡欧し、フランス最高峰の美術展「サロン・ドートンに入選し…

水神様として奉られた、庄内開発の恩人 北館大学助利長(きただてだいがくのすけとしなが)【1547年~1625年】

北館大学助利長

山形の戦国大名・最上義光の家臣。
義光が庄内を支配した後、狩川城主に任ぜられ、土地の不毛さを知り、灌漑のための調査を始めます。 調査には10年の歳月をかけ、「北楯大堰」の開削に着工します。…

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