米どころ庄内平野の礎
北楯大堰
月山山頂の町、庄内町。霊峰月山の雪解け水は、「平成の名水百選」の立谷沢川へと流れ落ち、最上川へと注がれます。
そして、その清流の水は水路によって平野部へと流れ、田を潤します。
現在、庄内平野に張り巡らされた多くの水路。庄内町の「北楯大堰」は、庄内地方の堰の元祖として、400年にわたって立谷沢川の清流を庄内平野に流し続けています。
時は江戸時代初頭。最上義光の命で狩川城主となった北館大学助利長公は、この地の水利の悪さによる荒野に心を痛めました。そして何とか住民の暮らしを豊かにしようと、立谷沢川から水を引く大工事に着工。
完成すると支流が次々と引かれ、多くの水田と集落が誕生しました。その後も吉田堰を始め、新たな堰が続々誕生。庄内平野は見事な水田地帯へと成長しました。
平成の名水百選 立谷沢川
「世界かんがい施設遺産」に選定された北楯大堰
日本のお米のルーツ
亀ノ尾と森多早生
明治時代になると庄内町では稲作の技術革新が進みます。
乾田馬耕や一般の農民が品種改良に取り組む民間育種もその一つで、小出新田の阿部亀治、廿六木の森屋多郎左衛門といった庄内町の民間育種家が、新しい品種づくりに取り組みました。
明治26年(1893)、亀治が立谷沢の熊谷神社へ参拝に行くと、冷害で稲がすべて倒れている田んぼの中に、元気に実る3本の稲を発見しました。そこは、熊谷神社の奥にある御瀧神社の御神水が最初に流れる田んぼ。
亀治は神様からの賜わり物と考えたのかもしれません。その稲を譲ってもらい、研究を重ねて4年にわたる苦心の結果、折れにくく冷害と害虫に強い「亀ノ尾」を創選しました。
その後も亀治は求める人々に無償で種籾を与え、大正期になると「亀ノ尾」は日本の三大品種とまで言われるようになりました。
この「亀ノ尾」と廿六木の森屋多郎左衛門が生んだ「森多早生」は、「ササニシキ」「コシヒカリ」「ひとめぼれ」「つや姫」など、現在作付けされている品種のほぼ全てのルーツとなっています。
亀ノ尾発祥の地 熊谷神社
御瀧神社
まち全体がお米の博物館
現在、庄内町では毎年晩秋に「日本一おいしい米コンテスト」を開催し、おいしいお米のルーツ「亀ノ尾発祥の地」として、全国においしい米づくりを発信しています。
また町の人々の暮らしの中には、五穀豊穣を祈る風習や民族芸能など稲作を中心に創られてきた日本人の精神文化が、しっかりと根付いています。
そんな日本の稲と米文化が生まれた地・庄内町で、お米を感じて味わう「おこめ旅」をしてみませんか。
日本一おいしいお米コンテスト
おすすめルート(所要時間:約3時間)
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JR清川駅 -
奇跡の稲、亀ノ尾の発祥地
熊谷神社/御瀧神社御瀧神社の御神水で身を清めてから参拝します。
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庄内平野の水路、はじまりの地
北楯大堰世界かんがい施設遺産に選ばれている北楯大堰の姿をチェック。立谷沢川から水を引き、山際を通らせています。
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北館公を水神として祀る神社
北舘神社北楯大堰を整備した北館大学助利長公を水神様として祀る神社。近くの楯山公園は狩川城址跡といわれている。
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北館大学助利長公の墓所
見龍寺永禄8年(1565)創建。北館大学墓の他、大学公の功績を讃える塔や明治天皇巡行碑もあり。
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庄内平野の米作りを学ぶ
亀ノ尾の里資料館阿部亀治など7人の民間育種家の功績や昔の農具・民具などを展示。
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亀ノ尾の生みの親を讃える石碑
阿部亀治翁頌徳碑「亀ノ尾」生みの親、阿部亀治を讃える碑は、出身集落の小出新田八幡神社境内にある。
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平成26年にオープン
庄内町新産業創造館クラッセ庄内町の観光の拠点。おいしいものを買って食べるならココ。