清川口から羽黒山へ。
そこには信仰と共に生きた人々の
心が息づいている。
立谷沢川と最上川の合流地にある清川は、最上川舟運で栄えた宿場町。歴史を辿れば奈良時代まで遡り、清川にある御諸皇子神社は源義経一行が旅の一夜を明かした地として「義経記」に記されています。中世以降は出羽三山参詣者たちの交通要所として賑わいました。芭蕉もこの地に上陸し、羽黒山へ。 今も清川から羽黒山へと向かう出羽丘陵の両麓には、羽黒古道を始め、修行僧ゆかりの円空仏や霊木の乳イチョウなど、人々の祈りを象徴するかのような神秘的なものが多く残されています。
最上川
羽黒古道
亀ノ尾発祥の地である熊谷神社の御祭神、熊谷三郎兵衛も出羽三山に導かれた一人です。江戸前期、由井正雪の高弟だった熊谷は、慶安の変後、立谷沢の御瀧神社がある聖地に移り、厳しい修行を経て、最後は遺言を残して即身成仏へ。
御祭神として以後多くの参拝者を集めました。
時を経て幕末になると、「明治維新に火をつけた男」といわれる清河八郎が清川から誕生。戊辰戦争では清川口が新政府軍と庄内藩の激戦地となりました。
その時に命を落とした両兵士のお墓は、現在に至るまで地元民から大切に供養されています。
遥かなる時の物語を今に紡ぐこの地で、景色に刻まれた歴史に思いを馳せ、日本人の心をふり返る「こころ旅」、始めてみませんか。
冷岩寺の走り大黒
乳イチョウ
熊谷三郎兵衛入定墓
清河八郎
「こころ旅」には2つのコースがございます。
下のボタンで表示を切り替えることができます。
清川歴史の里めぐり
(約2時間)
巡礼の道
(約2時間30分)
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JR清川駅
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日本を動かした幕末の志士
清河八郎記念館清河八郎関連の資料を収蔵展示。八郎を御祭神とする清河神社が隣接。
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戊辰戦争の激戦地
御殿林庄内藩主の宿泊所「御茶屋御殿」があった地で、戊辰戦争の戦場となった。現在は散策路が整備されている。
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荘内藩清川関所を復元
清川歴史公園 清川関所松尾芭蕉の庄内上陸の地。江戸時代に設置された清川関所(川口番所)を復元し、「歴史の里清川」を体感できる。
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清河八郎とお蓮の墓所
歓喜寺清河八郎とお蓮の墓所。戊辰戦争で戦死した庄内藩士のお墓もある。
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義経が一夜を明かした地
御諸皇子神社義経ゆかりの品や大絵馬がある由緒深い神社。木造金剛力士像と木造狛犬は町指定文化財。
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戦死した長州兵士の墓
官軍墳墓戊辰戦争で戦死した長州藩の兵士二人が葬られている。岸信介元首相が書いた碑もある。
オプション
八郎が江戸へ向かった道
「回天の道」トレッキング
清河八郎が18歳で江戸を目指した道を、藤沢周平の「回転の門」を参考に地元住民が整備した道。片道1時間30分。
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JR狩川駅
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信仰を集める不思議な霊木
乳イチョウ(霊輝院)県指定文化財(天然記念物)。神秘的な佇まいは一見の価値あり。
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死者を弔うモリ供養
白狐山光星寺貞観3年(861年)開山。「東の森」とも呼ばれ、純金の仏像が現れた「星池」伝説が息づく。
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県内唯一の円空作・観音さま
円空仏(見政寺)明治時代に羽黒山の修行僧が一宿のお礼にと置いて行った円空仏が安置されるお寺。拝観は要電話予約。
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出羽七福神八霊場のひとつ
走り大黒(冷岩寺)文禄年間(1592~1596)開創。大黒天は庄内が米作地のため俵の上に乗っていないのも特徴。
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河童に会える公園
荒鍋内川農村公園「荒鍋の河童」の言い伝えが残る地に整備された公園。河童の平吉と岩手県遠野から嫁いだ河童一家が住んでいる!?アサザの池も。
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義民・熊谷三郎兵衛を祀る
熊谷三郎兵衛入定墓熊谷神社の御祭神、熊谷が即身成仏を目指して土中入定した墓地。熊谷神社駐車場の向いにある。