先人たちが大切に守ってきた、
庄内町の歴史と文化
庄内町の歴史ある寺社、由緒深い史跡、地域や日本を支えた偉人たちの業績などを通して、町の歴史や文化に触れることができます。
スポット一覧
-
江戸時代の初期、余目地域周辺には最上川が流れており、舟をこのマツに繋いだことから「舟つなぎのマツ」と呼ばれた。当時の人々もこの松の木陰で鳥海山や月山の山々を眺めながら、一休みしたものと思われる。 最...
-
この巨木は県の指定文化財に登録されており、地域の人々の心のよりどころ、地元のシンボルになっている。根回りは4m30cm、推定樹齢400年のクロマツで、大きく傘型に広がった美しい枝張りは25メートルほど。 か...
-
霊輝院の境内にある県指定文化財(天然記念物)。枝から大小多数の乳枝が真下に垂れ下がっているため、乳イチョウと呼ばれている。根元には安産地蔵が祀られ、古くから乳の出を願う人々の信仰を集めている。 乳柱...
-
昔から正直山、上人塚などと呼ばれ親しまれてきた。 昭和49年に発掘調査を行ったところ古墳であることが判明し、梵天塚古墳と命名された。11世紀頃のものと推定された町指定文化財。
-
室町時代の200年、代々、源氏・北条氏・足利氏に仕えて様々の戦功を立て、「館」(集落)を中心に余目地域を治めた安保氏の供養のために、天保15年(1844年)村の若者らが建立した五輪塔。 乗慶寺境内に建てられ...
-
松尾芭蕉上陸の地である清川は、出羽三山へと至る「いのりの道」のスタート地点であり、ここから上陸した人々は出羽三山へと旅を続けました。 羽黒の山のにぎわいは、そのままかつての清川のにぎわいでもあったと...
-
享保年中、防風林として整備された、清川を風水害から守ると共に、戊辰戦争の古戦場としてゆかりの深い林。戊辰戦争時、荘内軍はここに本陣を布いて新政府軍と戦った。昔、藩主の参勤交代の折の宿泊所(御殿)が...
-
慶長17年(1612年)、狩川城主 北館大学助利長公が苦難の末に開削した農業水路。 現在も米どころ庄内平野を潤し、その礎となっている。北楯大堰の完成により5,000haの新田が開発され、多くの村が生まれた。 今...
-
亀治が昭和2年に藍綬褒章(産業振興などの功労者に与えられる)を受賞したことを記念して小出新田八幡神社の境内に石碑が建立された。「亀ノ尾」の創選者「阿部亀治」の偉業を讃えるとともに、地域の豊作を祈るた...