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庄内町 人物伝

北館大学助利長 1547年~1625年

6. 北楯大堰完成。庄内開発の恩人・水神様と北舘神社

北館大学助利長 北舘神社 北館大学助利長 庄内を見つめる北館大学助利長像(狩川・楯山公園)

▲庄内を見つめる北館大学助利長像(狩川・楯山公園)

慶長17年(1612年)の秋、4ヶ月の工事の末、ついに延長10キロメートルを超える堰が完成します。これが「北楯大堰」です。これ以後、最上川左岸の狩川、余目、藤島の新田開発が進み、新しい村が数多く誕生しました。
米どころ庄内平野の水田約8千ヘクタールが、現在もこの堰の恩恵をこうむっており、利長は「開発の恩人、水神様」として、「北舘神社」の祭神となっています。

元和8年(1622年)、最上氏が改易されると利長も所領を失いますが、子の助次郎が、庄内に入封した新領主・酒井忠勝に召し抱えられたため、その許で晩年を過ごしました。
寛永2年(1625年)10月20日死去。享年78。

安永7年(1778年)には、水神社が建立されて北楯水神として祀られ、大正8年(1919年)には狩川城趾に設けられた楯山公園に移され、北舘神社となりました。楯山公園には、庄内平野を見つめる利長の像が建っています。

大学様のいい話♪やる気満々!埋蔵金

北館大学助利長

利長の人柄と機転を伝える、こんな逸話があります。
堰の工事は難航を極め、作業員たちも疲れ始めていました。そんなある日のこと、工事作業員が大騒ぎしていました。なんと、工事現場に金銀のびっしりつまった壷があったのです。とまどう作業員に、利長はこう言いました。

「これは日頃のおまえたちの心がけがいいからだな。天からの贈り物ともらっておけばよい。そういえば、以前このあたりを支配していた城主が、落城したときに埋蔵金を残したという話しを聞いたことがあるぞ?」
これを聞いて、作業員たちは大慌てであたりを掘り進め始めました。すると、次々と金銀のつまったお宝が出てくるではありませんか。この幸運に作業員たちの士気も上がり、工事は予定よりずっと早く終わったということ。
実は、金銀のつまった壷は、埋蔵金などではなかったのです。夜中に利長とその家臣たちが現場にこっそりと埋めておき、わざと見つかるようにしていたのでした。

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【目次】

  1. 1. 荒れ果てた原野を水田に
  2. 2. 10年の努力、「水馬鹿」と呼ばれた情熱家
  3. 3. 難航を極めた大事業、悲劇の16人
  4. 4. 最上川の奇跡、青鞍の淵伝説
  5. 5. 最上義光と北館大学助利長
  6. 6. 北楯大堰完成。庄内開発の恩人・水神様と北舘神社
  7. 大学様のいい話♪やる気満々!埋蔵金
  8. 関連スポット

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