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庄内町 人物伝

清河八郎 1830年~1863年

9. 清河八郎、死す

清河八郎の墓

▲清河八郎の墓
【小石川伝通院】東京都文京区小石川
地下鉄春日駅・後楽園駅下車 徒歩約10分

歓喜寺 清河八郎の墓

▲清河八郎の墓
【歓喜寺】JR清川駅 徒歩10分

天皇に上表文を提出し勅諚を賜るという「回天」を成し遂げた八郎でしたが、いったん浪士組を江戸に戻すことになります。 浪士は一行が上洛した後も続々と参集し、何百人という浪士たちが八郎の手先として働くことを恐れた幕府は八郎へ刺客を放ちます。
回天から2ヵ月後、八郎は、志半ばで幕府の刺客・佐々木只三郎らに暗殺されてしまいます。
-享年34歳・・・・


明治維新は主として薩摩・長州・土佐など関西雄藩の志士によって推進されたものですが、清河八郎のこれら雄藩の志士に互して、常に主導的に風雲を起こした活躍は、明治維新史上特筆すべきものです。 「近世日本国民史」の薯者徳富蘇峰は、清河八郎をもって「維新回天偉業の魁」と称しています。

八郎の首は同士の石坂周造(宗順)によって鉄舟宅へ運ばれました。寺の裏手には、山岡鉄太郎(鉄舟)の私邸があったといいます。
山岡は、当時「伝通院」の子院だった「処静院(しょせいいん)」の住職に頼み、「伝通院」の墓地に埋葬したと伝えられています。

明治2年(1869年)、八郎の弟・熊三郎により、歓喜寺(庄内町 清川)の齋藤家墓所に改葬されました。

伝通院・歓喜寺ともに、八郎と妻・お蓮がいっしょに並び埋葬されています。

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【目次】

  1. 1. 誕生と齋藤家
  2. 2. 幼少時代
  3. 3. 学問と剣術~学びの修行時代~
  4. 4. 江戸遊学時代
  5. 5. 諸国漫遊と西遊草
  6. 6. 虎尾の会~尊皇攘夷の志~
  7. 7. 九州遊説~寺田屋の変~
  8. 8. 急務三策~回天の浪士組結成~
  9. 9. 清河八郎、死す
  10. 関連スポット

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