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庄内町 人物伝

庄内町が生んだ画壇の巨匠 世界に羽ばたく水彩画界の巨匠 内藤秀因 1890年~1987年

プロフィール

内藤秀因は、明治23年(1890年)、大和村古関(現庄内町古関)に生まれました。山形県師範学校を卒業し、大正5年(1916年)東京美術大学へ入学。 美術の研究のために三度渡欧し、フランス最高峰の美術展「サロン・ドートンヌ」に入選し注目を集めました。
国立科学博物館に16面200mの大壁画を描き、二科会・一水会に10年連続出品し、日展にも入選しています。
昭和54年(1979年)より日本水彩画会理事長を務め、同年旧余目町の名誉町民の称号を受けました。

【目次】

  1. 作品紹介
  2. 年表
  3. 関連スポット

作品紹介

庄内町 人物伝 内藤秀因作品紹介「岳温泉 桜の道」

岳温泉 桜の道

庄内町 人物伝 内藤秀因作品紹介「気仙沼 大島」

気仙沼 大島

庄内町 人物伝 内藤秀因作品紹介「錦秋」

錦秋

庄内町 人物伝 内藤秀因作品紹介「湯沢残雪」

湯沢残雪

年表

昭和2年
(1927年)
画家 石井 柏亭 、 石川 寅治 に師事し、37歳のときに美術及び美術教育研究のためヨーロッパに留学。
昭和3年
(1928年)
パリに渡り、画家アマン・ジャン氏に師事、さらにアカデミー・スカンジナビアでオットン・フリエス氏の支持を受ける。 そして、各国画家のあこがれの的であり、登竜門といわれる、フランス最高の美術展サロン・ドートンヌに「トルコの風景」を出品して入選し、注目を集める。 その作品がベルギー大使館に買い上げられた。また、サロン・デ・チュイルリーにも推薦されて出品した。
昭和4年
(1929年)
ルーブル美術館の絵画、コロー、ルーベンス、ピサネロ、テルサヘルフ、ヴェラスケス等の作品を模写し、ヨーロッパを一周して各地の美術研究を行って帰国。 帰国後、日本水彩画会会員になり、意欲的に製作に取り組む。以降、東京の国立科学博物館の16面200メートルにわたる大壁画の制作、二科会、一水会、日展等の公募展に連続出品・連続入選を続けた。
昭和38年
(1963年)
ロンドンでの日英交換美術展に出品した「花下の道」はロイヤル・アカデミーの買い上げとなる。
昭和39年
(1964年)
再度ヨーロッパに渡り美術研修旅行。
昭和54年
(1979年)
ギリシャに渡りエーゲ海やアテネの遺跡を研修するなど、年齢を重ねても研究を続けた。国内では日本水彩画会の理事、後に理事長に就任し、画人の指導や画壇の振興に力を尽くした。
内藤画伯の画風は、堅実な写実主義を基調とし、格調の高い重厚で迫力のある作風である。絵に対しては古武士のような厳しい信念と若々しい情熱と気迫を持ち、トレードマークのハンチング帽をかぶり、日本国中をイーゼルと絵の具を持って歩いた。 また、家でも旅行先でも立ったまま描き続け、その姿勢は90歳を過ぎても変わることがなかった。
昭和54年
(1979年)12月
兄の智秀とともに名誉町民の称号が贈られる。
昭和57年
(1982年)
余目町総合体育館(現庄内町総合体育館)のステージの緞帳原画を製作する。
昭和60年
(1985年)
春の勲章で木杯を授く。
昭和62年
(1987年)4月10日
東京にて天寿を全うする。享年96歳。
5月に遺族より日本水彩画会へ「内藤賞設定基金」が寄付された。
また、氏の遺言により同年12月に約2,000点の作品が町に寄贈された。
水彩画は町の図書館で保存されていたが、痛みやすく保存が難しいので、図書館のそばに併設して絵画収蔵館(現庄内町内藤秀因水彩画記念館)を建設、平成4年(1992年)完成した。 収蔵作品を年4回展示替えしながら、作品の公開を開始。
平成17年
(2005年)
余目町と立川町が合併し、庄内町が誕生する。
館名を「庄内町内藤秀因水彩画記念館」と改める。
平成20年
(2008年)
日仏交流150周年に水彩画35点がフランスに招待展示される。

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